『絲山秋子・沖で待つ』コンパクト。 [本]
やっぱり文学は気安くっちゃダメなんですかね。芥川賞の選評読むと、何言ってるかぜーんぜん分からないんですけど。受賞作自体は、かなり気安い、失礼ながら小物のイメージがあるのに。『沖で待つ』。ってご免。文藝春秋で読んだ。
転勤が決まった私は、ふらりと同僚の家を訪ねました。そこにはいつもどおりの太っちゃんがたぱこをプカーっとやってました。3ヶ月前に死んだのに。
そんな感じで、なんだかのん気に、私と同僚の太っちゃんの関係を一人称で描く小説です。私、非常に個人的な理由で、この小説はトラウマを刺激するところが大きいのですが、それでもなんともコンパクトにまとまっていると感じました。
ところどころ、なんだか面白いと思うことはあるんですけどね。生前お互いに「死んだらパソコンのハードディスクを壊そう」って約束するところとか。分かるなぁ。私も、HD見られたら恥ずかしくて恥ずかしくて成仏できないよ。
私が実は隣人を覗いて観察日記をつけてたり。それらが非常に小さい起伏でするりと描かれているのが、この作品の肝なのでしょうか。私にはちょっと物足りなく感じたんだけど、それは私が文学が分からない子だからなのかなぁ。
私、芥川賞、リサリサ先生(※1)以来読んでないくらいのしょうもない子ですから。リサリサ先生の場合、先生自体のカルチャースターとしての魅力もあったけど、失礼ながら絲山さん→覗き→萌ぇ~のコンボはちょっと想像が成立しません。
でもこれ読んで「凄い!」って思う人もいるんだろうなぁ。そういう人から直接、感想を聞いてみたいよ。
※1 リサリサ先生:『蹴りたい背中』で2003年の芥川賞を受賞した、綿矢りさ先生のこと。先生、まだ学生だっけ?
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